アルバロのこと

20151223173256.jpgアギラール・デ・ヘレスという人に初めて会ったのはもう16年以上前だと思う。
安田光江先生の舞台。今年はアギラール・デ・ヘレスという人が来るよと言われた。それまでも発表会にはスペイン人の歌い手は来ていたが、このアギラール・デ・ヘレスという人はいつもの人達と何かが違っていた。大きな声で笑い、なにやら良くしゃべり、そしていつも歌の長さが違う。「あれ、さっきとまた違うぞ」と慌てるものの、満足そうに歌いつづけるアギラールさんと見ていると何も言えなかった。思えばこの時がスペイン人の歌に初めて会った時と言えるのかも知れない。アギラールさんは何故か私のことを「La Cara Mora(モーロ人の顔)」と呼んでいた。何度言っても名前を覚える気はないらしく、「La Cara Mora、元気かー!」とガハガハ笑いながら大きな声で話しかけてきた。

教室を辞めて独立することにした時、アギラールさんにその話をした。そうしたら「そうか、じゃあしっかり生徒を集めて、発表会の時には俺を呼ぶんだぞ!」と言った。そんなの無理に決まってるじゃんと思いながら、「そうだと嬉しいな」とひどいスペイン語で答えた。

2003年、アギラールさんがへレスにピソ(アパート)を作ったと聞いた。ちょうどへレスに行きたいと思っていたところ。早速連絡をした。広くて素敵でなんでも揃っている、セントロからも近いということだった。へレスにまだ当てがなかった頃、喜んでそのピソを借りることにした。ピソに到着すると、立派な素晴らしい門構え。緊張しながら門を開けると、アギラールさんの奥さんがいた。「まだ工事中なのよー」と言われて中に入る。驚いたことに2部屋と台所以外はまだみんな工事中だった。「食洗機は明日入るから!」と気持ちの良い奥さんの言葉にホッとするものの、コンクリ―トでまだ打ちっぱなし(横はタイルが積まれてる)の床を見て笑うしかなかった。何もかも途中だったが、居心地は最高に良かった。この頃からアギラールさんは私の名前を憶え、私もアギラールさんを「アルバロ」と本名で呼ぶようになっていた。

2007年の冬、一人で舞台で踊ってみようと決意した。やるのは来年、場所はエル・フラメンコがいい。そして歌はアルバロにお願いしたかった。細かい話を電話でしたくなかったので、恵比寿のカフェで待ち合わせをした。「勿論やるよ。なんでも協力する。」とちょっと珍しく神妙な顔でアルバロは言った。「ところで、そろそろ僕を発表会に呼んだらどうだ!」といきなり言われた。椅子から転げ落ちそうになったのを何とかとどまりながら「ホントにお願いしていいの?じゃあ今度お願いしたい」と答えた。「あはは、もちろんだ!」といつものようにガハガハ笑った。5年前には「そんなことありえない」と思っていたアルバロの出演。結局アルバロはそれ以降、私たちの教室にはなくてはならない人となった。

2012年、アンドレス・ペーニャ、ヘスス・メンデス、ダビ・カルピオ、ハビエル・パティーノを呼ぶことになった。アルバロにこの話をすると、それはそれは大層喜んで「香、へレスのアーティストを日本に呼んでくれてありがとう!」と何度も言った。特にダビ・カルピオは親戚のような存在だと言い、彼らが来日している間は足しげく私のスタジオにやってきた。お昼を一緒に食べたり、私が落ち込んで一人になりたかった時、みんなを連れて買い物に行ってくれたりした。リサイタル当日は見たこともないほどのお洒落をしてやってきた。会が終わった後、誰よりも嬉しそうに笑い、話し、歌うアルバロを見て、もしかしたらこのリサイタルで一番幸せだったのはアルバロだったかもと思ったりした。

アルバロは面倒くさいおっさんだった。喧嘩もした。何度も呆れて果てて、「もういいよ!」って捨て台詞をアルバロに吐いた。予定もよく間違えた。周りの空気を読まなかった。話し始めると誰も止めることが出来なかった。何かこうしようと思うと、何がなんでもそれを通した。そして逝くときにも誰にも言わず勝手に逝ってしまった。挨拶くらいしていきなさいよ。みんな困るじゃない。

でもきっと今もガハガハ笑っているのだ。私が途方に暮れているのをどこかで見ながら、あのいたずらっぽい少年みたいな目で「あっはっは!!」と笑っているのだ。私がどんなに怒っていても最後は私の背中をバンバン叩いて「まぁ、そんなことで!」と誤魔化していた時のように、知らん顔で笑っているに違いない。あの愛すべきアルバロは、今も誰かの腕を掴んで喋り倒し、楽し気にブレリアを歌っているのだ。きっとスペインの政治を憂いながら、好きな植物を植えているのだ。優しいちょっとロマンティストだったアルバロ。思い出すのはあの笑顔ばかり。200m先からでも聞こえてきそうな「カオリサン!!ゲンキデスカ!!」の声はいつでも耳に響く。「Aguichan(アギちゃん)」という愛称をこよなく愛していたアルバロ。実はへレスにいたりして。いや、きっといるのだ、そうに違いない。