言葉を選ぶ

20172161357.JPG人と話していてたまに思うこと。「この人、本当にこの言葉の意味が分かってるのかな。」
決して「これ、どういうつもりで私に言っているんだろう」という意味ではない。単純に「この単語の意味をちゃんと知って話しているのかな」ということ。日常会話はもちろん、メールでもよく起こる。

言葉というものはとても難しくて、よくよく考えて話しても真意を伝えることは簡単ではない。だからこそその言葉の持つ本来の意味をちゃんと理解をしていないと、到底その思いを相手に伝えることなどできるわけがない。伝える際には一番よい言葉を選択し、調べ、それを使う最も良い文章を考える。そこで初めて相手の誤解は最小限にとどめられ、不快にさせることを減らすことが出来る。しかしながら短時間での返信を求められる現代、考えて言葉を選ぶ時間はないのだろうか。
(もちろん言葉は生き物であり、日々その使い方は変わり、意味は増える(もしくは減る)。「島村さん、このお菓子ヤバいですよ!」と初めて聞いた時の衝撃は今でも忘れらないが、残念ながら今ではその言葉に違和感を覚えない。)

私はパクチーが好きではない。過日その話をした時に「わかるー、パクチーって鬼門だよね」と言われた。彼女は「鬼門」をどういう意味だと思って使っているのだろうか、と頭の中に大きな「?」が浮かぶ。その後の彼女の文脈から「パクチーを苦手な人が多いよね」と言いたかったのだと理解した。

外国語に関してはみんな辞書を使う。Google翻訳のアプリケーションの進化には驚くべきものがあり、それをみんな楽しそうに使う。どうして国語辞典は開かないのだろう。国語辞典ってアプリより面白いのに。
外国語学習に関しては「ちゃんと分かっていない単語は使わない方がいい」というのに、日本語の時は気にしない。いや、むしろその言葉の意味を曖昧にしか分かっていないことを、そもそも気が付いていないのかな。自分のことが一番分からないと人は言う。もしかしたら言語もそうだったりして。

今日もちょっと不思議なメールをいただいた。文脈から判断した。これじゃ英語読解の試験みたいだと思わず苦笑。
小学校の英語教育が必須教科になるそうだ。英語が増える分、国語も増やしたらいいのに。国際化には日本語はいらない?そんな馬鹿な。